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家族バラバラになった日に考えた人生の目的と目標、神の存在 [最近思う事]

今日は短い時間ですが、家族5人が完全にバラバラなところにいました。

私は町会のバーベキューの手伝いで市の施設
妻は「漢字検定」で外出
長男は「漢字検定」で別会場に
次男は「漢字検定」の時間が一番遅いため待機
娘は妻の実家

段々と家族が一緒にいる時間が少なくなっていくのかなと思ってしまいます。

さて、そんな日の遅い時間に人生の目的と目標、神の存在を改めて考えました。


人生の目的

「これは」と思って最終候補に残っているのは、
「人生の目的」(五木寛之)のあるエピソードに書かれていた
「生きる事に執着する道はなかったのか」という一説です。

そこで、私の人生の目的は「生きる事に執着する事」にしています。
「しています」というのは、変わるかもしれないからで特に意味はありません。
そして「何があっても」という条件が付随します。
どんなに、辛くても、悲しくても、みっともなくても、追い込まれても、劣悪な環境でもということではないでしょうか。
とにかく、石にかじりついても「生きる」というのが人生の目的だと思います。


人生の目標

「一流の条件」(山﨑武也)にある、「一流の人間」になることです。
また「一流の条件」ですが、常に人間社会全体の立場に立ち、「豊かな常識」と「鋭い観察力」を持っていることです。
非常にハードルは高いのですが、最終的に超えられるよう努力します。


神の存在

神がいるかどうかの議論も必要ですが、何か偉大なるものの存在は確実にあると思いますので、
それを神と呼びたいと思います。

まずは、人は「神の子」と良く言われますが、星のかけらから人が現在に至ったのは、
どうしても神の意思があるとしか考えられないので、
その神が生み出した我々は神の子と言って良いと思います。

また、神はどこにいるかというと、各自の中に存在していると思います。
そして、何をしているかというと、体の中で起きている細胞の生死を指示し、
かつ各自の行動を慈悲の心でただひたすらに見守っていると思います。

なので、裁きや祈りに対しての助けなどはしません。
すべては、「自分次第」です。
世の中は、各自の「自分次第」が積み重なって出来ているのです。
すなわち、一人一人が神であり創造主ということなのですが、
その行動が社会に受けいられるかどうかは、また別問題です。

私はここ数年はぼんやりと「すべての人間は神様」と思うように努力していたような気がします。
努力だけで終わっている事が多いと思います。
とても重要な事だと思いますので、今後も精進したいです。





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